ひもさんの「被」養育日記

 

9月29日(水)

 生気が下がっている。N先生・仲間達と『異邦人』の議論。『カミュの手帖』をパラパラ。昔は大好きだった感傷的なレトリックが、近頃はとても苦手だ。どんなに大作家であろうが、年齢を重ねるとともに、甘い表現技法が受け付けられなくなってきている。いや、どう足掻いても達することのできない、「憧憬」の裏返し。

 

9月30日(木)

 論文と語学に没入すること、彼女と出かけること、それ以外の時は痴呆のように生きている。気を紛らわすために南武線で川崎へ。仲見世通りをフラフラと散歩する。もう、何も認識したくない、と思う。風俗の看板に無意識に目を留めながらも、そのまま何もせず帰路の電車に乗り込む。

 

10月1日(金)

 昼間でも眠い時は、2時間でも3時間でも寝る。順調に社会人として完全に使えない体質になりつつある。仲間からオンライン飲みの誘いを受け、「仕事帰りにレモンサワーを買ってきてほしい」と彼女にLINEをする。コンビニは歩いて5分の所にある。気分が乗らなければ、歩くことさえ面倒臭い。

 

10月2日(土)

 彼女の職場(保育士)で撮ったという、DVDを一緒に見る。小さい子ども達には何も感情を動かされないが、懸命に働いている彼女の姿には、心から敬意を表す。遊戯の「きらきら星」の旋律に、目頭がふと熱くなる。

「きらきら星よ あなたは一体誰でしょう あんなに高い空の上 ダイアモンドのように」

 人ではないと分かりつつも、夜空の瞬く星に「あなたは一体誰」と呟いてしまう少年少女。

 

10月5日(火)

 何もしたくない。

 

10月6日(水)

 「自分のタイプです」と言ってアプローチする人は、明らかにその相手ではなく、自分にとっての「美人のプロトタイプ」だけを見ている。

 小室圭さん。ひっそりと、僕は応援してるぞ!

 

10月7日(木)

 家に居続けても、妄想の中で適度に過去の他人を召喚して、会話をするようにしているから、何ら寂しくない。

 

10月8日(金)

 F先生の論文だけを延々と読みこむ1日。院試英語の過去問添削が返ってきて、T先生に「よく出来ています」と言われるが、褒められることへの警戒心が最近ことに強い。「幸福の不感症」。いや、ありがたいですけど。

 

10月9日(土)

 形だけでも学問している瞬間は、全て忘れられる。ふと我にかえると「なんだこの全く意味のない作業は」と深く落ち込む。「学問の喜び」という言葉が跋扈しているが、どうやら僕のモチベーションは全くそれとは異なるものらしい。かといって、安易なコンプレックス解消でやっているわけでもなさそう。そうじゃなくて、変に「囚われてる」感じ。

 久々に大喧嘩。彼女が日々通勤で使っている自転車のブレーキの効きが悪いので、口酸っぱく「一刻も早く自転車屋に行ったほうがいい。自分どころか相手の命に関わることだから」と僕が言うと、みるみるうちに不機嫌に。いくら言葉を尽くしても伝わらない。しばらくして一度機嫌を取り戻すが、コンビニでnanacoのチャージの仕方が分からなかったらしく、僕が画面に指を差しながら教えて、つい「お嬢様育ちなんだね」と含み笑いで言ってしまった。再び憤慨。その後無言で帰宅し、自宅で言い合い勃発。何事もコミュニケーションが重要だと考えているので、「ここに関しては僕が悪くて、それに関しては僕は悪くない」ことを必死に説明し、「僕の意見にどう思う?」と聞くのだが、どうやらそれらの内容には全く納得していなくて、別の所に怒りの要因があるらしい。ふと、「女は理性的ではない」という差別フレーズが一瞬頭を過ぎってしまったが、一晩考えて分かったことは、「言葉を尽くして説明する」「相手の意見をとことん聞く」の「アツい」姿勢も、人によっては「脅威」として捉えられてしまうということ。「最後まで説明する」「とことん話を聞く」真摯さよりも、どこかで「キリをつける」真摯さも大事なんだなぁと。

 

10月10日(日)

 心の底から、青年〜中年のひきこもりの気持ちがよく分かる。世間で起きている出来事、活発に生きている人々には、もう何も興味がないんですよ。いや、正確に言えば、非常に強いプライドを持って、世間の畏れを持って震えている「自分自身」には、特異的な興味があるはず。だけど興味があるだけで、深く考えることはとても怖くて、何ら進展はない。進展がないからこそ、部屋が非常に居心地良く感じられるんだ。

 un grouillement de points(点のひしめき)、夜の沈黙、解体。

 

10月11日(月)

 本当に、なんで女性の前だとこんなに口が走るのか分からない。実務的コミュニケーションは皆無に近いのに。

 軽井沢のペンションで、それまで感じたこともないような心地よい風を受けながら、彼女と談笑して朝食を食べた、あの朝を永遠に繰り返して生きたい。

  数時間悩み、レヴィナスを無理やり援用。今の自分の精神性は、積み上げて来た知識や経験の集積体ではなくて、もしかしたらその「集積」から逃げ去ってきた(逃れてきた)何かによって、彼方から「呼びかけられて」出来上がっているものではないのだろうか・・・!

 

10月12日(火)

 一日の半分を、過去の記憶だけで生きている。

 ベルクソン『物質と記憶』のフランス語読書会。かれこれ2年ぐらい、週一程度(今は月二)で続けている3人のメンバーは宝物。いつ裏切られるか分からないですけど。

  ドビュッシーが流れている森の中で昼寝をしていて、遠くで、母親、父親、彼女、これまで飼ったペット達が僕を呼び、駆け寄っていく少女趣味の妄想を、いつの間にかしている「イタい」おじさん。

 近頃、少し気持ちが楽になってきました。

 

10月14日(木)

 「人間には向き不向きがある」 本当、何も向いていなかったらどうするんだろう。

 「もっと自分を出していきなさい」という言葉が本当に辛い。その言葉に誘発されて出す自分なんて自分ではないんじゃないかと思う。自分なんかどうでもいいのだ!!

 

10月15日(金)

 論文締切日。T先生の「第一章が最終的に一つの論文になればいい」のアドバイスのもと、一章だけ緻密にやっているつもりだが、話が妙に入り組んでいる。深夜に諦めて、多分途中提出。

 彼女が明日運動会らしく、今日は遅くなる。ブリの照焼きにチーズつくねを添え、待機する。

 3年ほど養われつづけて気づいたこと。

 ①最所は彼女のお金を湯水のように使うことに快感を覚えるが、次第に途方もない「物欲」に虚しさを感じるようになり、なんだかんだで節約志向になってくること。

 ②20代の頃はどんなに傷ついても、色恋沙汰にわざわざ足を踏み込むことによくわからない「誇り」を持っていたが、この生活を続けると次第に面倒臭くなり、なんだかんだでパートナーのことだけを大事にしようと思えてくること。

 ③スーツを着て歩いている人が、何かのコスプレに見えてくること。

 ④精神的に「脆弱」な状態でも、無理に回復させようとせず、むしろ病的な自己意識を徹底的に深めながら生きる「強さ」を模索する思考になり、それがヒモには「最適な状態」だということ。

 

10月17日(日)

 ブランショの『文学空間』が格好良すぎて、荻窪の古書店でU先生の博士論文を購入してしまった!!

 論文報告終了。次回は11月中旬。「問題点はしっかり掴めている」との評価であったが、「いきなり問題の核心から入っていて、前提知識が無いので、もっと誰にでも分かる説明を増やして、問題点の踏み台に『厚み』を持たせたほうが良い」とのこと。ひとまずハイデガーのes gibtと、レヴィ・ブリュールの「融即」における「恐怖」の情動の分析を進める。

 週末になるとまた彼女と大喧嘩。昨日のイベントでヘトヘトだったらしく、少しこちらの話が多くなると、疲れが増す(?)らしい。「それじゃあ、僕は何も話せないね」と言うと、カンカンになって、怒られてしまった。暫く経って僕が出かけてから、LINEで「さっきはごめん」と伝え、ようやく和解。もう、反射的に言葉で応戦しないようにする。カップルや夫婦は「説明力」で乗り切るものではないと、しみじみ理解する。

 

10月18日(月)

魂が完全に抜けてた日。

 

10月19日(火)

 とある学問の場で事務の手伝いをしているが、N先生から「事務の才能がありますね」と言われた。ちなみに現役の公務員だった時は、全くもってマルチタスクの事務仕事が出来なくて、徹底的にバカにされて死に追い込まれる程病んだのに、先生からの意表を突く「評価」に、少し戸惑う。仕事の質と量が全く違う(後者は正職だし)ので、比べるのもおかしいけど。

 30代になってからのフランス語の学習で感じるのは、懸命に何度覚えても、すぐ忘れてしまうこと。忘れた後に残るのは「あぁ、頑張って覚えたなぁ」という気持ちだけ。進学校の中〜高にかけて、英語に関しては、嫌と言うほど手書きで文法演習とボキャブラリー補充をやらされたが、曲がりなりにもあの苦労があるからこそ、土台がしっかりしており、今復習しても肉付けがしやすい。フランス語も英語にかなり近い部分があり、「単なる応用だろう」という姿勢で取り組んでいたつもりでしたが、やはりフランス語独特のルールや語法は、演習を多くこなさないと定着してこない。「経験からコツを掴むこと」と、「しっかりと頭に定着させること」は雲泥の差がある。

 

10月20日(水)

 ずっと家にいると、知らず知らずのうちにわだかまりが溜まりそうなので、出掛けることを決意。特段、目的はない。ひとまず自転車に跨り、大通りまで懸命に漕ぐ。大通りの手前でスピードを緩めて、南に行くか、北に行くか、5秒くらい考える。何も考えず、体がなんとなく北に傾いていたので、北方面へ向きを変え、また漕ぐ。電車に乗る予定もなかったが、最寄り駅が見えた瞬間、何もせずとも自分を動かしてくれるものに乗りたいという気持ちが湧き立っていたので、駅横の3時間無料の駐輪場に停車。3時間もあれば散歩に十分だろうと思いながら、京王線に乗車。だが、ここからが問題だった。乗ったのは良いものの、何処で自分が降りたいのか、しばらくしても分からなかった。段々と息苦しくなり、次に着いた駅で降りようと思った。千歳烏山駅で下車。お昼だったので、初めて降りた駅で美味しいご飯でも食べようと考えたが、やはり何も欲が出てこない。結局、目に入った松屋に入り、牛定を食べる。お腹が少し満たされる。もう、散歩もせずに、一刻も早く帰りたいと思った。そのまま自宅方面の電車に乗る。窓から射す秋真っ只中の太陽光が気持ち良くて、帽子を目深に被り直し、電車内で一眠りしてしまった。

 

10月21日(木)

 何もしたくない。

 

10月22日(金)

 何もしたくない。

 考えたり、観察したり、確かめたり、思い出したり、話したり、ともに体験したりすることへのぼくの無能さはますますつのって行き、ぼくは化石になりつつある。ぼくはこのことを確かめなければならない。ぼくの無能力は役所でもひどくなって行く。もし、ある仕事によって自分を救わなければ、ぼくは破滅してしまうだろう。(カフカ『日記』 一九一四年七月二八日)

 

10月23日(土)

 何もしたくない。