上野千鶴子 『〈私〉探しゲーム−欲望私民社会論』を読んで

 

 ベタだけど、やっぱり上野千鶴子がなんだかんだ好きなので。1987年発刊ですけど、現代の社会病理に通ずるものがあるので、簡単な感想。

 本書を読んで、現代のSNS(ソーシャル・ネットワーキングサービス)、とりわけインスタグラム等の写真をネットに掲載するサービス機能と、他者の視線の関係性に、着目。

 インスタグラムは、使用者が私生活の写真に、コメント等を添えて、ネット上に掲載でき、それらを通じて他者との交流が図れるSNSですよね。写真は、掲載者の好みが強く出ているものが多く、また不特定多数の他の使用者の目に良く映るように、上手に「カスタマイズ」されている。そして、その「カスタマイズ」された写真は、「いいね」の数で評価が可視化され、掲載者の自己満足につながっている側面がある。でも、この「自己満足」は、本当に掲載者自身の「欲望」から端を発しているのか、僕には疑問が残ります。

 インスタグラムで掲載されている写真は、事実として掲載者自身の私生活の「一場面」ではありますが、ネットという果てしない数の視線が泳いでいる空間で、他者からバカにされないための、「一場面」です。実際に対面で出会った時の、その人独特の雰囲気は消し去され、ネット上の視線が筆頭に意識された、その人自身のような気がします。ですが、自分の好みのシチュエーション、好みの色修正、好みの添え文等は、もはや「私の欲望」ではなく、「他者の欲望」です。これは文中にもある、「インテリア雑誌のカメラアイ」と同義であるように思います。そして、IT化がすさまじいスピードで高度になるにつれて、ネット上での「他者の欲望」は増々強くなり、人間自身が制御できない社会病理の新たな種子を、人間自身が知らず知らずにこの世界に植え付け続けている気がします。

 SNSの発展によって、他者の目線を過剰に意識して、自己の欲望と他者の欲望の見分けが困難となり、新たな社会問題へとつながっていく可能性を、上野がこの時点で予言しているかのよう。ネットの発達は、互いに自由に交流出来るだけでなく、互いに監視し、また無意識に支配できる、「便利ツール」にもなっているのではないのでしょうか。

ひとまず以上。