20年後のぼくへ
こんにちは。ぼくは、32才になっていますか。
変な手紙を書いてすみません。いま、いろいろと考えすぎて、頭がぼーっとするので、少しよみにくい文章になっているかもしれません。どうか、さいごまで読んでくれると、ぼくは、うれしいかもしれません。
ぼくは今、ベッドの中にいます。
今日も、大好きなお母さんにうそをついて、学校を休んでしまいました。だけど、もう、学校へはぜったいにいきたくありません。
さっき子どものびょういんへ行って、うえだ先生から「今日も、どこも悪いところはないよ。りょうちゃんは2、3年ぐらい、他の子より成長がおくれているから、ゆっくりいこうね」と、ニッコリして、やさしく言われました。
帰りに受付けのかんごふさんから、「りょうちゃんが元気になりますように」と、棒つきのオレンジ色のキャンディーをひとつ、もらいました。
ぼくはそのキャンディーを見つめながら、本当に自分がなさけないと思って、帰りの車の中で、わあわあ泣きそうになりました。
ベッドのあったかさに包まれていると、ぼくはすべてのくるしみや痛さからかいほうされるみたいです。
ぼくは、ぼくのベッドが大好きです。なぜならここにいれば、一番安全で、誰にもじゃまされることなく、心がとてもおちつくからです。
体はあったかいのに、顔は窓からはいってくる涼しいかぜがあたって、そして、動いているカーテンのすき間から、青い空と、大きな雲と、一番向こうにはきれいな、茶色い山が見えます。ぼくは、紅葉がおわった今のじきが、なんだか好きです。
人間は、桜がさくじきと、紅葉のじきは、木が大好きなのに、それいがいは木のありがたさなんて無視です。しかも、木がいちばんきれいなそのじきに、人間が木をたくさんよごす気がします。だからぼくだけが、このじきに、遠くに見える山の木に「1年間おつかれさま」と、ベッドから言ってあげます。
それと、ここは学校とちがって、すごくまわりが静かです。体のあったかさ、きれいな景色、そして小鳥のなきごえだけが聞こえてくる。なんだか、本当にゆめの世界にいるみたいな感じです。
20年後のぼくは、このゆめに近いものを、毎日みられるぐらいの強さを持っていますか。
くるしみから、かいほうされていますか。けっこんをして、かわいい奥さんと、かわいい子どもが3人(男の子2人と女の子1人がいいなぁ)、そして大好きなペットといっしょに暮らしていますか。
ぼくはしょうらい、けい察官になりたいです。都会のけい察官になってますか。
なんでけい察官になりたいかというと、制服とてっぽうがかっこいいからです。
それともう一つ理由があります。
制服とてっぽうをもっていれば、もう誰もいじめてこないからです。
みんながぼくを怖がるからです。そしてもし誰かがぼくをいじめたときは、てっぽうですぐに殺すことができます。
そうすれば、ぼくは、ぼくの幸せとゆめを、ずっと守ることができます。
ぼくのじゃまをするやつらは、全員、皆殺しにしてもいいと思うのです。この世界には、なんでひとを殺しちゃいけないほうりつがあるのですか。こんなことを言うぼくはおかしいですか。図書館のどの本にもかいていないし、学校の先生も、だれもはなしをしてくれません。
こんなこと、たぶんお母さんに言ったら、すごく泣くと思います。お母さんはぼくの事が大好きだから、そして僕の家はゆうふくで、お母さんがぼくに何でも買ってくれるから、ぜったいにぜったいに言えません。
32才のぼくは、たぶん体も大きくなって、頭もいまよりよくて、強くなってるとおもいます。ぜったいに、いじめられてないはずです。この世界を、じぶんで強く生きぬく力をもっているはずです。
こんなに今くるしいのに、20年後もおなじようなことにくるしんでいるなんて、考えただけでジゴクです。まさかそんなことは、ないと思いますが。
もし、ぼくが全然強くなっていなくて、32才になっても弱いままで、からだも小さくて、じぶんでじぶんを守れる力をもっていなかったら・・・
ぼくは今すぐに死のうとおもいます。
たまにゆうがたのニュースで、電車にとびこんだり、首をつって死んでしまう、同い年ぐらいの子達をしります。
お母さんやお父さんはそれを見て、
「生きていればこれからいいことなんてたくさんあるのに・・かわいそうに」
「りょう、お前は強くなるんだぞ。べんきょうをいっぱいして、いい大学にはいって、いい会社にはいって、家族をもって、じぶんだけのしあわせを持つんだ。それがお父さん、お母さんにとっての一番のしあわせなんだ」
と、いいます。
ぼくは、いきぐるしい。ぼくは、死んでしまう子のきもちが、とてもわかります。
みんな、この世界からいじめられて、うそをつかれて、いきぐるしくなってる。あるともだちから、親友から、あるじょうきゅうせいから、好きな女の子から、あるがっこうの先生、塾の先生から、じむ員のおじさんから、お父さんから、お姉ちゃんから、親せきのおじさんから、近所のおばさんから・・・・・・
いや、もしかしたら、ひとじゃないかもしれません。みんなが見ているのはもしかしたら、じぶんよりも、たてにもよこにも、何メートルも大きくて、色がまっくろで、つりあがった青い目みたいなものが真ん中にあって、よくわからない、聞きとれない、低いおおきな声で、じぶんに怒ったり、ふざけて笑ったりしている、よくわからないもの。
みんな、それにたえきれなくなって、死んじゃった。永遠に、それに追われるとおもって、死んじゃった。みーんなみんな、死んじゃった。
ぼくは、ぜったいに死にたくありません。
こんな長い手紙をかいて、本当にすみません。今年の夏に、親友の伊豆のべっそうにあそびに行ったいらい、楽しいことが一つもありませんでした。そして、このくるしみは誰にも言うことができず、せめて未来のじぶんなら聞いてくれるだろうと思い、一生けんめい、かきました。
一週間前、オー・ヘンリーたんぺん集の、「さいごのひと葉」という本を、図書館で借りました。この本には主人公のジョアンナという人が、レンガにかかれた「さいごのひと葉」をきぼうに、死なずにすんだ話がえがかれています。
ぼくは、この手紙を、「さいごのひと葉」ではありませんが、きぼうをこめた、一枚の手紙にしたいと思い、かきました。
20年後のぼくは、強くなっていることを、今ベッドの中でずっといのりながら、この手紙をおしまいにしたいと思います。
どうか、どうか、お願いだから、強くなっていますように。
20年前のぼくより
数日後アップ予定の記事で、続きを書きます〜。
読んでいただいてありがとうございました。
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