北条民雄『いのちの初夜』角川文庫

 

※今回は簡単な書評です。

 

人間誰しも失った過去の時間を取り戻したいと考える瞬間が来る。

「あの時は楽しかったなあ」「あの時の自分は最高だった」

その感情が潮の満ち引きのように迫ってくる時、大抵は現実に打ちひしがられている自分を直視するのが辛い時である。

過去の健康的な自分は、現在の自分に自信を持たせ目の前の壁を乗り越えさせる一面もあるが、見方を変えると、現在の自分の虚無を増大させるものにもなる。

本書はその救いようのない虚無と真正面と向き合い戦ったハンセン病患者が、自らの苦悩を文学に紡ぎだして結晶化させたものだ。

後半、著者の生き写しである尾田が、悪夢から目覚め、地獄絵図の病院と自らの将来性に絶望し疲弊し切っている時、佐柄木が尾田に問うシーン。

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「尾田さん、あなたは今死んでいるのです。死んでいますとも、あなたは人間じゃあないんです。あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、考えてみてください。一たび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしょうか」

「尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復かえるのです。復活そう復活です。びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。新しい人間生活はそれから始まるのです。」

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僕はこの文を読んだとき、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」(みすず書房)が頭を過った。

人は、過去の記憶に遡るだけでなく、思想や価値観までもが段々と後退してくるようになってくると、精神的にも不安定になってきて、肉体的にも弱ってくる。まさしく「病は気から」である。

らい予防法という国家政策の下、社会とは隔離され、凄まじい差別を受けながら病に苦しんでいた著者が、そんな状況の中でも、過去の自分に別れを告げ、ハンセン病患者として新たに健康的な生活をスタートさせるために、自らの境遇を文学にしようとした勇気に、僕は頭が下がる思いだ。

自分の力では変えられない現実世界が目の前にあるとき、その世界にしっかりと目を見開き、そこに新たな価値を自分で見出し、見方を変えていく努力こそが「人間力」のバロメーターである。

北条民雄の「蹉跌の美」文学は、これからも世界中の人々の心を打つであろう。